農園生活の終わり

農園日記

前回の更新からだいぶ時間が経ってしまった。「球根が芽を出しはじめた」時期はとうに終わり、
スイセンはまだ咲いているものの、スノードロップはすでに花を落とした。木々が芽吹いて、草原の牧草も勢いを吹き返しつつある。ヤギたちは新緑が嬉しくて干し草に見向きもしなくなった。動物の数はだいぶ減った。去年の春に産まれたオスブタ7頭は肉になり、ファーム始まって以来の老ブタ2頭は、他のファームへ。借りていた繁殖用の雄羊も返された。

苗床も緑にあふれ、夏野菜の苗が着々と準備されていた。

といいつつ実はもう僕はそこにはいない。日本でこのブログを書いている。そう3月末に帰国したのだ。理由は、勿論新型コロナの影響もあるが、第一にはファームを続けていくモチベーションの低下である。

モチベーションの低下にも勿論様々な要因がある。ネガティブな心境をここに綴ることに果たして意味があるかわからないが、とりあえずこの農園日記というものに一区切りつける必要はあるなと感じて、そして将来、はて、何故やめたんだっけ?とならないように書いてみることにした。

辞めようと思った原因の1つ目は、仕事環境に対する違和感だった。
今年に入って3人の新しいチューターが農園チームに加わった。みんな良い人でファームには活気が出たのだが、その反面、我々に回ってくる仕事は前にも増して雑用、もしくは取り敢えずやらせておこうといった仕事ばかりになってしまった。
エドもファームマネージャーとして、さらに忙しくなり、ほとんどオフィスワークでファームには姿を見せない。実質トレーニングとしての指導はほぼないわけで、自分で自分に「これも経験だ」と言い聞かせながら単純作業をこなす毎日。
僕たちの学びになるようなこと(リンゴの木の剪定とかトラクター研修とか)を、計画はしても、実際はエドが忙しすぎて後回しにした結果、「もう時期が過ぎてしまった」で終わらせられたり。

僕は主に農業を学びたかったので、週3日は畑で作業をするはずだったが、仕事がほとんどない。畑の規模の割にスタッフがいて、しかも多くの作業を新しいチューターが生徒とやるためにとっておきたいようで、回ってくる、身になる仕事が無いわけだ。まあ学校農園としては当然だが、まだ以前は僕たちが働いているなかに生徒を招き入れる形だった。今は完全に蚊帳の外。

そしてファームの在り方への疑問。
エド自身も最近迷いがさらに出てきたようだが、過去にトラウマを抱えているような子どもたちに、飼っていた家畜の肉を食べさせるのが果たして良いことなのかどうか。繁殖は歓迎(生徒が動物の赤ちゃんと触れ合えるから)だが、屠殺(勿論ここでするわけではないが)という現実は隠すというのは不自然ではないか?
でも酪農をしているわけでもなく、肉も生産しないとなると、動物園と一緒で、学校ファームというコンセプトは消えるのではないか、といったこと。なんのために動物を、しかも群れで、多大な労力をかけて飼育しているのだろうか?

あとはバイオダイナミック農法について。思想としてはおもしろいが、ちょっと頭でっかちすぎる気もする。特にここでは、みんな色々理屈づけて考えるのだが、本質が伴ってないこともしばしばで、第3者からみた時に魅力あるファームであるとは思えなくなってきた。子どもにとってあれが良い、これが良いというのも大人目線で、実際に子どもにとってアクセスしにくかったり。理想を追い求めて現実が疎かになっている感じかな。僕自身にもその頭でっかちの性質が多少あるので、さらにそこに気持ちの悪さを覚えるのかもしれない。

生活面でのストレスもある。畑のそばに一軒家があり、僕たちはそこに住めるということで、中を掃除したり、ガラクタを搬出したりしていたのだが、今はエドの家族が住んでいる。彼の家族の状況を考えると仕方がないなと思うのだが、ふと退いて考えると、都合よく使われているようでいい気はしない。彼らにはよくしてもらうし、好きなのだけれど。
とりあえず数か月程度住む予定だった学校の一室に永久に仮住まいのように日々暮らしていた。

こんな中で、しだいに自分の人生の今の段階において、ここで働いていることが意義あることなのかが分からなくなってきた。もっと自然のことが知りたい、教育や福祉が自然と共にある現場を見てみたい、動物やハンディキャップを持った子どもとの接し方を学びたい、などと考えて来てみたが、勉強したいという気持ちでボランティアやアルバイトのようなことを暫定的にやることは、もう自分の人生のフェーズではないという実感が日々強くなってきた。そもそもここに応募したのはもう3年も前のことなのだ。

ここの学校の先生たちは、この学校を良くするために試行錯誤で日々忙しく頑張っていると思う。みんながみんなではないが。僕はその傍らで、彼らの試行錯誤を見ることが勉強だと思いながら、ボランティアという責任もない安全な立場で単調な作業をしているだけだ。本当にこれが学びになるのだろうか?自分で責任を負って何か始めるべきなのではないか。英語では、「練習」も「実践」も同じpracticeという語である。

正直、辞めるとか逃げるとかは嫌だなと思った。でも今回の場合はつらいから逃げ出したい訳ではない。その反対だ。
僕はだいたい物事に葛藤を持ちつつもやり遂げてしまうことが多い。でも区切りをつけないとならないときもある。

そんなことを毎日考えてウジウジしている時に、コロナの影響もだんだんとヨーロッパにそしてイギリスの片田舎にまで及んできた。外出自粛から始まり、この学校でも、通学生徒の自宅待機、そしてついにはほとんど休校に近い状態になってしまった。住んでいる生徒に接触できるのも限られたスタッフのみ。そんな状態が秋まで続く可能性もある。もうこれは、海外の学校でボランティアとして働いている情勢ではなくなったなと思った。夏までいたとしても、もう帰国のフライトがあるかも定かではない。

帰る決断をした。

半年間で得たものはすごく大きいと思う。このトレーニングのテーマ「Growing the land, growing the people(土地を育て、人を育てる)」のもとでで、実際に、まず土地を育て、場所を発展させてゆくプロセスを近くで見せてもらえたこと。動物や障害を持った子どもたちとの生活のリズム。日本人とは違うイギリス人の自然観。どこまでも続く牧草地と生垣の風景。

そしてこの半年間で自分のなかで薄くなった、あるいは消えたものもまたある。フランス、イギリスと数年間暮らしてきたことによって、海外生活への憧れや理想化は消えた。勉強をどっぷりとしていたいという欲も、都会から離れて暮らしたいという思いも薄くなった。極端なオーガニック志向、ベジタリアン志向もなくなった。

こうやって書いてみると、色々なものを経験し、感じ、考え、消化したことで少し自由になれたのかもしれない。

さてこれにて、イギリスの農園日記はひとまず終わる。今の小さな目標は、どこかに自分たちの小さな畑を持つことだ。やりたいことはたくさんある。Practiceあるのみ。
そして、そうしたら新たな場所の農園日記をまた、書いてゆこうと思う。

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