なぜ動物園ではなくファームか?

農園日記

2019.11.13
午前中は土壌検査のためのサンプル採取。
農業を営むにおいて、土の状態を知ることは基本中の基本だ。その土壌が、どういう鉱物構成なのか?有機物の割合は?酸性なのかアルカリ性なのか?それらの状態によってこれからの使い方の方針が決まってくる。今回は化学的に分析してみようと。
学校敷地内の5つのフィールド(牧草地)の土を採取する。各フィールド内を大きなWの字を書くように歩き、歩きながら15~20カ所穴を掘り、土を取る。混ぜ合わせてそのフィールド内の平均をとる訳だ。その後は分析機関に送る。

合計100回近く土を採取したわけだが、なかなかおもしろかった。分析は自分たちでやる訳ではないが、土に対する感覚、直感を養うために、毎回掘るたびに手で練ってみたり、すりつぶしてみたり、匂いを嗅いでみたりした。特にこの学校は、4つの地質が交わる場所にあるので土の種類は複雑で、すぐ近くの土でも全然違っていたりする。湿り気はもとより、粒のきめ細やかさ、色も黒ぽいものから褐色まで。特におもしろかったのが匂いで、木の下では腐葉土の有機物の匂いがするし、畑のコンポストのようなところ、粘土のようなところでは卵のような硫黄の匂い、はてはケチャップのような酸味のある芳醇な匂いのするところもある。彼女と二人で土を嗅いで、「ここは炭素系だね」とか「嗅いだことあるあれだ、なんだっけ」とか言い合っていると何をやっているんだかと可笑しくなった。でもとても良い経験になったと思う。量をこなせば自分の中に比べる基準ができ、土もただの土ではなくなる。そして午前中が終わる頃には、鼻の先が土ですっかり汚れてしまった。

今日は動物たちを早めにしまい、午後4時くらいから、エドと農業についての勉強会。前もってテーマについて勉強して、自分なりの疑問を見つけておく。今回は、「動物、場所の精神」で「動物」は前回の農業講座のテーマでもあったので復習を兼ねている。
僕の1番の疑問は、根本的なことだが、「なぜ学校でファームなのか?」ということ。子どもたちが動物と触れ合うというのは良いことだとわかるのだが、なぜファームという形をとるのか?これはとても労力を要することである。なぜ家畜ではなく、ペットのような動物を数匹飼うのではダメなのか?

ちなみに英語で「ファーム」というと、日本語とは少しニュアンスが違って畜産をメインに指す。いつも言葉選びに迷うが、この日記でも「ファーム」という言葉では動物をメインに考えている。

さて、もちろん子どもたちが例えば乳搾りをしたり、羊毛を刈ったりといった体験ができるならファームを運営するというのは意義のあることだと思う。でも現実には、ここでは生徒たちは動物を眺めたり、ちょっとエサやりを手伝ったりするくらいが限度だ。牛や羊、ヤギを群れで飼うということはやりすぎな気もしていた。

この疑問に直接答えがあったわけではないが、3人で対話をするなかでわかったのは、ファームを通して「自然のバランスの中に身を置く」ことの重要性。
人間は元来自然の一部なのだが、現代社会では自然と関わることが極端に減ってしまった。自分の中に自然の要素を持っているのに自然界のバランスの中に身をおけていないと、生物としても人間としてもバランスを崩してしまう。特に外からの刺激を敏感に受け取ってしまう子どもにとって、自然のなかに身をおく、自然のリズムを感じるということはとても大切なこと。そしてそれらがファームの中には確かにある。 単に動物と触れ合うことの背後にある感覚。これがペットとして配置された動物をなでる以上に大切なことなのだろう。

もちろんファームは人がつくった自然のバランスではあるが、そこでも動物たちはその大地が与えてくれるものを食べ、群れのなかのヒエラルキーを定め、季節の移ろいに身を委ね、人間に恵みをもたらしている。子どもたちがその感覚を少しでも感じられれば、学校ファームを運営する意義はそこにある。

あともう一つ、草食動物の存在について思ったこと。
毎日動物にエサを与えたり、ニワトリが卵の上に座っているのを見たり、自分で酵母を育てたりしている。そんななか台所に置いている土つきの丸々したニンジンを眺めた時、ふと「このニンジンにとって母は大地なんだな」と実感した。書くと当たり前のことなのだが、なんかちょっと意識が揺らいだというか。マザーアース(Mother earth)とかパチャママとか「母なる大地」を表す言葉は世界中にあるが、それが腑に落ちた瞬間があった。

そしてその「母なる大地」を強烈に存在として表しているものの一つが草食動物だと思う。牛の群れを眺めていると心が落ち着いたりすることがある。それは彼らのリズムのためでもあるだろうが、1日中、いや生涯を頭を低く大地に向き合い、草のみを食べて生きること、その存在の安心感でもあるだろう。そしてこの学校の子どもたちの多くは、家庭に問題があったり、幼少期に愛情を十分に注いでもらえなかったりした経験をもつ。彼らが牛の群れを見て感じるのは、僕が感じるよりもきっと深い「母の存在」みたいなものかもしれない。

もう1つのテーマ「場所の精神」については詳しくは来週に持ち越された。それまでの課題は、ここの土地についてもっと詳しく調べること。

夜は味噌煮込み春雨を食べた。春雨とはいっても中華街で買った幅広いモチモチした麺でおいしい。畑にネギがふんだんにあるのはありがたいなぁ。

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